気になる…お天気NEWS
最新のコメント
最新の記事
カテゴリ
全体 東日本大震災 食べる・飲む Bar & Pub 和食・居酒屋 洋食・中韓伊西 ワイン・酒 蕎麦 お茶会 不思議…? なるほど! 読んだ本 言葉・万葉集 映画と音楽 アド屋の目 デザイン& Art 拍手!ザブトン! プレゼン 緑地公園 My Zoo 未分類 以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... 検索
記事ランキング
画像一覧
外部リンク
|
書棚に、織田作之助全集(講談社)の第5巻だけが一冊ある。
箱入りの、布地カバー装丁のしっかりとしたつくりの本だ。 背表紙は茶色くシミになっているが、本体はまだ美しい。 奥付をみると昭和四十五年六月二十八日第一刷とある。 でも、なぜ、この1巻だけあるんだろう…。 挟み込みの冊子をみると全8巻のようだが。 その隣りにいた、この一冊。 ◎わたしの織田作之助・その愛と死・織田昭子(サンケイ新聞出版局) 奥付には昭和46年2月5日1刷。 全集と同じ頃に読んだのだろう、と手にとると 不思議なことに、この昭子さんの独特の文章というか文体を覚えていた。 「織田作之助の妻、一枝は、昭和十九年の盛夏、三十二歳を一期に亡くなった。 昭和二十二年一月十日、あけて三十五歳の春に、自身喀血して死に到るまで、 織田は生涯かけて、一枝のことを思いきれなかった。三高時代からの間柄で、 七年待って、八年目に結婚し、五年目に病んで死別した。 私は、昭和十九年の十二月から死の年までのあしかけ四年間、 戦争、敗戦、戦後、と三つの激しい時代のなかを、大阪、京都、東京と、 三つの都を放浪して生活をともにした。 私に話しをするとき、きまって……死んだ嫁はん ……といういいかたをしていた」 まだ二十歳にもなっていなかった昭子さんと、三十歳を過ぎたばかしの織田作。 壮絶な四年間が、ここにあります。 織田作の通夜の夜、 「恋人が死んだ時でも、葬式には行かない男が、一人で飲んで悼っています」 坂口安吾は、ことづけをつたえた。 「二重回しを翻しながら、まだインキで濡れたような夕刊を、ながい指で かさっとつまんで現われたのは、いくらか上気した風に見える太宰治で、 黙って仏前に追悼文を供えた」 <織田君は、死ぬ気でいたのである。私は織田君の短編小説を二つ通読したことが あるきりで、また会ったのも二度、それもつい一ヶ月ほど前に、はじめて会った ばかしで、かくべつ深いつき合いがあったわけではない。しかし織田君の悲しさを、 私はたいていの人よりも、はるかに深く感知していたつもりであった。 (中略) 織田君、君はよくやった> 太宰治の知らない面を見たですね。 どこか避けてきたところがあるのだけど、改めていろいろ読んでみたいと思う。 そして、林芙美子、です。 この人も「放浪記」というその名しか知らないのですが、この人が、すごい。 通夜の席、 「……ワテらの、みとめた女房やおまへんよって、 まちがわんといてください。アレは、作が、勝手に連れてきよりました……」 「……女房なんかでは、オマヘン……」の声が聞こえる。 林芙美子が言う。 「一夜妻だって、妻は妻じゃありませんか。まして、あしかけ四年も一緒にいて、 死に水をとらしたものをーーアタシャ織田作さんに、女房だって紹介されましたよ ーー文士で四年はながいやネーー籍なんて、アタシんとこだって、子供のために 入れたんだもの、いろいろかまっちゃいないものネーーこの人のことは、 アタシたちで、どうにかしますがネ…… 呼吸もきらずに言いつのると、一種の興奮にかられたように、密かに私の手をとった。 ……あしかけ四年、ながいナァ…… 溜息のような右隣の太宰治の発言が、 私には遠いことのように織田のことを想い起こさせる」 林芙美子も、読まねば…。 この一冊を読み返して思うのは、……人との出会い、ですね。 人は出会うべき人には出会うべき時に出会っている。そこで。 ちなみに、書棚にある全集の第5巻には、 昭和十九年から昭和二十一年にかけての作品が収められている。 織田作が昭子さんと過ごした時期と重なる。 Googleしてみると、興味深いサイトにめぐりあった。 なるほど。浪花の出版社・創元社、いいコラム持ってますねぇ。
by kishimoto_hajime
| 2013-10-01 00:11
| 読んだ本
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||