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◎「わたくしが旅から学んだこと」:兼高かおる(小学館文庫)
そして、その「わたくし」がよく似合う人です。 兼高さんといえば、「兼高かおる 世界の旅」ですね。 いやぁ、あのテレビ番組、毎週日曜日の楽しみでした。 「八十日間世界一周」のテーマ曲が流れてきて、 協賛は、当時アメリカのフラッグシップ、パンアメリカン航空。 あの地球儀の、PAN AMのブルーのロゴ、かっこよかったです。 初めて海外へ旅する時はPAN AMにしよう!と決めてましたね(笑)。 「兼高かおる 世界の旅」1959年から1990年まで、31年間もの 長寿番組だったのですね。中学生の頃ですね、よく見てたのは。 ローマまでは香港に1泊してプロペラ機で52時間かかった、という あの時代に、若き日本女性がさっそうと世界中を飛びまわり、 現地の人にセレブにと何の違和感なくコミュニケートしてる姿を見て いやぁ、スーパーマンを見るような感じでぼーっと憧れてました(笑)。 彼女は31歳だったのですね、番組が始まったときは。 プロデューサー兼ディレクターで、ナレーションまでひとりで、ですか。 「とにかく、海外取材番組は日本で初めてでしたので、前例もなく、 誰も仕事の仕方を教えてくれる人はいませんでした。が、かえって 型にはめられることがなく、自由で楽でした。取材先も自分で交渉し、 番組の方向性も取材しながら決めていくことができたからです」 スタッフは、あとカメラマンとアシスタントのみ。 「相性のいいカメラマンとずっと組めれば楽なのですが、まだめったに 海外に行かれない時代でしたので、テレビ局としてはいろいろな カメラマンに外の世界を経験させたかったようです。 中には、プロ意識に欠けるカメラマンもいて、その態度に腹を立てた わたくしは、荷物をまとめて日本に帰ろうとしました。 東京から飛んできた番組関係者になだめられ、思いとどまりましたが。 あのときもし日本に帰ってしまっていたら、「世界の旅」は長寿番組に なっていなかったことでしょう」 は、は、は(笑)。その現場が、目に浮かびます。 いま思えばTBSという放送局は、あの頃から好きだったです。報道のTBS。 兼高さん「42歳定年説」を提唱しているそうです。 若いうちから「遊芸」を持ち楽しめと言ってます。 「遊芸」ねぇ(笑)。いやぁ、困った(笑)。 「わたくしは、とにかく体験主義。 自分で納得するまで確実と思わない。 80過ぎても「世界の旅」は継続中ですのよ」 いやぁ、スマートでエネルギッシュな人生の先輩です。
by kishimoto_hajime
| 2015-11-09 00:10
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